2014年12月18日木曜日

琉球新報「落ち穂」の連載13回目(最終回)が掲載されました


琉球新報の文化面エッセイ「落ち穂」というコーナーに、NPOスタッフの三輪が記事を書かせていただいています。

第13回目は2014年12月17日発行。お手元に紙面のない方は、ぜひこちらからお読みください。 (画像をクリックすると拡大します)
今回で、連載は無事終了となりました。最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2014年12月14日日曜日

第8回シマ学校「ウツマミの脱穀とサニンムツー」を開催しました


今年の3月に種まきを行ったウツマミ(下大豆)が、約9か月間の栽培を経て収穫時期を迎えました。こちらは、種まきに参加してくださった県立宮古総合実業高校のみなさんが、種を持ち帰って学校の圃場で栽培してきてくださったウツマミです。
今回のシマ学校では、念願の脱穀作業を昔ながらの方法で挑戦してみることになりました。


講師は、種まきから栽培方法までずっと指導していただいた前泊勤さん(89歳)。
つい先日、勤さんの畑では一握りほどのウツマミの種から、15kg近い豆を収穫し終わったとのことでした。脱穀もすべて、勤さんが昔ながらの道具をつかっておこなったそうです。


ウツマミの脱穀を始める前に、まずは「サニンムツー」づくりからスタートしました。
大正5年頃まで、池間島では冬の寒い時期に「サニン(月桃)の葉に包んだキビ団子」を子ども達に作って食べさせ、無病を願う風習があったそうです。
現在では、沖縄の風習である「ムーチー」(旧暦12月8日)が宮古島にも浸透しつつあるようですが、それと似たような風習が以前から池間島にはあったのだということがわかってきました。


今回は、もちきびのほか、芋をつぶしてもち粉とこねたもの、もち粉に黒糖を混ぜたものの3種類の「サニンムツー」を作ってみることにしました。
よくこねた生地を丸めて、サニンの葉にくるみ、ススキの葉でしばります。


こちらは、炊いたモチキビにもち粉を少し足してこねています。


包み終わったものは、蒸し器で10~15分ほど蒸しあげます。
サニンムツーを蒸している間、今回のメインイベント「ウツマミの脱穀」に取り組みます。


「マミッタツバウ」と呼ばれるこちらの道具は、刈り取った豆を脱穀する際に使われていたもの。ヤラブ(テリハボク)の木で作られれたこの「マミッタツバウ」は、100年ものというから驚きです。今回の講師の前泊勤さんからお借りしましたが、なんとまだまだ現役で使われています。


まずは、勤さんがお手本を見せてくださいました。
「マミッタツバウ」は、手にもつ短い棒と、豆を打つ長い棒がぐるぐるまわるように組みあわさっています。遠心力をつかって長い棒をうまく回転させながら、豆をたたいてさやと豆をはずしていきます。


続いて、子どもたちも「マミッタツバウ」を使った脱穀に挑戦。
60代以上の方々は、子どものころに豆の脱穀を手伝ったという記憶があり、この「マミッタツバウ」を回しては頭の後ろにぶつけて痛い思いをしたというお話や、「マミッタツバウ」のほかにギンネムの太い枝やビール瓶も使って豆をたたいていたというお話を聞かせてくださいました。


豆の枝からさやや豆が外れたところで、今度は「ムイジャウキ」を使って豆とそれ以外の葉や豆の殻を選別します。
仲原ソヘ子さんが、風を利用して上手にゴミを飛ばしています。


豆だけがきれいに残ります。
今回の脱穀では、610gのウツマミが収穫できました。


さて、脱穀が終わるころには、サニンのいい香りが漂ってきました。
サニンムツーがきれいに蒸しあがっています。


左から、モチキビ、黒糖、芋の3色のサニンムツーができました。
香りもよく、おやつに上等です。

今年のウツマミは、残念ながら天候やタイミングによってほとんど収量を確保することができませんでした。これにめげず、また来年も継続してウツマミを育て、収穫した豆でとうふや味噌が作れるようにしていきたいと思います。

2014年12月10日水曜日

耕作放棄地に麦を蒔きました


「遊んでいる畑があるので使ってほしい」という島の方からの相談をうけて、NPOが手入れをしながら活用していく畑がまたひとつ増えました。
こちらは開墾前の畑の様子。


トラクターと耕運機と刈払機で、ここまできれいな畑になりました。実はこの畑、集落の中にあり、両脇・向かいは民家という立地。しかし、道路の側には立派なアカバナの垣根があったり、琉球石灰岩の天然の石垣で囲われ、その上にクロキやガジュマル、バンチキロー(グアバ)などの大きな木が茂っていたりと、とても美しい趣のある畑です。


畑を開墾したろことで、早速「麦」を蒔いてみました。
この麦は、来間島で昔から栽培されていた種を復活させようと、近年栽培を始められたという方の畑から分けていただいたものです。



ひとあた間隔に約10粒ずつ播種してみました。


早速、イソヒヨドリやジョウビタキ、シロハラクイナなどがやってきては虫を探しています。播種したばかりの麦を食べられてしまわないよう、鳥よけのヒモも張りました。
この畑では、麦のほか、長命草やヤチューサ、ウイキョウ、ニガナなどの野草や、クース、在来の香味野菜などを育てていこうと計画しています。集落からも近いので、体験農場としてたくさんの人に参加していただけるよう準備を進めていきたいと思います。

2014年12月9日火曜日

12/7~10の日程で、大阪府立堺上高校のみなさんが来島しました


12月2校目は、大阪府立堺上高校です。7日から10日まで、2泊3日の日程で、251名の生徒さんが来島しました。池間島では、111名の生徒さんが22軒の民家にわかれての民泊です。


2日目は、各民家での家業体験。
こちらでは、収穫を間近に控えたサトウキビ畑にて葉を落とす作業を手伝っていました。


こちらは、船で沖釣りの体験に出かけた生徒さんたち。時化の海でしたが、船酔いもせず大漁できたと、大変喜んでくださいました。

またいつか、暖かい時期に「彼女や彼氏を連れて」民家さんの家にあそびに来てね、と約束をしている家庭がたくさんありました。民泊した生徒さんたちが、また訪ねてきてきてくださることを、民家さん一同心待ちにしていますよ。

2014年12月6日土曜日

12/4~5の日程で京都府立洛東高校のみなさんが来島しました


12月4日から1泊2日の日程で、京都府立洛東高校のみなさんが池間島にやってきました。


あいにくの悪天候で、屋外での体験活動ができなかったのですが、こちらの民家では、水浜(海岸)で拾ってきた貝殻やビーチグラスをドライヤーで一生懸命乾かしながら、貝殻アートに取り組んでいました。


賞味24時間ほどの短い時間でしたが、民家さんと過ごすゆったりとした時間を楽しんで帰ってもらえたのではないでしょうか。

2014年12月5日金曜日

琉球新報「落ち穂」の連載12回目が掲載されました


琉球新報の文化面エッセイ「落ち穂」というコーナーに、NPOスタッフの三輪が記事を書かせていただいています。

第12回目は2014年12月4日発行。お手元に紙面のない方は、ぜひこちらからお読みください。 (画像をクリックすると拡大します)

2014年12月4日木曜日

すまだてぃだより22号を掲載しました


すまだてぃだより22号ができましたので掲載いたします。

○今月の特集記事
 民族の集い開催
 第7回いけまシマ学校~うながやーやーの味噌づくり~
 シマ学校~アダナスを編む~
 池間中学生だより
 おはなし大会で市長賞
 今月の行事予定

こちらからpdf版をご覧いただけます。

2014年12月2日火曜日

「都市農村交流事例紹介パネル展」に出展します

内閣府沖縄総合事務局において、沖縄県内での都市農村交流(農林漁家民泊、農林漁業体験等)の取組みを紹介するパネル展が開催されます。
いけま福祉支援センターもパネル展示で出展しているほか、県内の様々な活動団体の紹介を見ることができますので、お近くにお越しの方はぜひお立ち寄りください。
(パネル展示とともに池間島ガイドマップも配布予定です)

 日時:平成26年12月8日(月)~12日(金)9:00~17:00
     (8日(月)は12:00から、12日(金)は12:00まで)

 場所:沖縄総合事務局行政情報プラザ
     (那覇市おもろまち2-1-1 那覇第2地方合同庁舎2号館1階)

2014年11月30日日曜日

第28回池間民族の集いが開催されました


池間、西原、佐良浜各地区から「池間民族」を名乗る人々が大集合し、スポーツ競技や親睦会でおおいに盛り上がる、「池間民族の集い」が盛大に開催されました。
開催場所は毎年持ち回りとなっており、第28回目の開催となる今年は池間島での開催でした。


開催地区である池間島では、朝から大量の刺身をさばいたり、


これまた大量のワーヌンスゥニ(豚の味噌煮)を炊いたりと、懇親会の準備が着々と進められていました。
ワーヌンスゥニは、池間民族のお祝いにかかせない伝統料理で、豚肉に味噌をもみ込み、水を一切加えずに豚肉から出る油だけで炊き上げて作ります。今回は、豚2頭分の肉と、池間島でつけた味噌を使っています。


一方、各地区から集合した「池間民族」たちは、5つの競技が行われる会場に各々集まり、熱戦を繰り広げるというわけです。
こちらは、グラウンドゴルフ大会の部。


ゲートボール大会もあれば、


囲碁大会もあります。
そのほかにも、ゴルフ大会、ボウリング大会が同時並行で開催されていました。


それぞれの競技が終わると、離島振興総合センターにて親睦会がはじまります。
200名を超える「池間民族」が大集合しました。


池間民族の集い実行委員長である、自治会長の波平さんがあいさつ。


各競技の優勝者、優勝チームの表彰もありました。


池間島出身の三線の名士である波平重夫さんと糸満旦男さんお二人による「とぅあにあやぐ」「池間の主」で幕開け。


余興には、池間老人クラブによる踊りあり、


学童保育の子どもたちによる出し物ありで、会場を大いに沸かせました。
池間の幼稚園生と小学校低学年の子どもたちは、シマ学校でよみがえったヤライアーグの中から、「アウマチャガマ」と「まりつきのアーグ」を披露しました。


また、29日に行われた「宮古島市民総合文化祭児童生徒の部郷土の民話大会」で見事市長賞を受賞した浜川のどかさんは、「ミハギバトゥとガラサのゆがたい」を池間方言で披露。


とにかく、「池間民族」の名のもとに集結する人々による、「池間民族」の自尊心と団結を確かめ合うような一大イベントです。池間島での集いを無事盛会に終えることができてなによりでした。
来年は佐良浜地区での開催です。

2014年11月29日土曜日

第7回シマ学校「うながやーやーの味噌づくり」を開催しました


11月のシマ学校は、「うながやーやー(自分自分の家)の味噌づくり」です。いまでも毎年味噌をつけているという、山城美枝さんと仲原ソヘ子さんを講師に、昔ながらの味噌づくりを教えていただきました。


生き生き教室のみなさん25名と、学童保育の子どもたち、池間の中学生のほか、県立宮古総合実業高校の高校生9名も参加して、総勢50名でみそつきです。


先日、山城美枝さんに仕込んでいただいた麦麹。9日目で、このようにふんわりと麹が立ちました。


前日の夜から水に浸し、2~3時間やわらかくつぶれるようになるまで炊いた大豆をむしろの上に広げ、麦麹を混ぜ合わせます。
今回は、2斗甕1個分の分量として、15kgの大豆に赤麦2kgを使用しました。


これを木臼にいれて、きねでついてつぶしていきます。
1960年代の写真を見ると、近所のお母さんたちが寄り合って、木臼で味噌を突いている様子がわかります。このような光景も含めて、「味噌つき」という暮らしの中のイベントを現代に復活させてみようと、昨年の11月にはじめて味噌つきに挑戦し、今回は2回目の味噌つきです。


3名ずつ交代しながら、みんなで杵をつきます。この時、うたをうたい、手をたたきながら味噌つきを見守ります。




豆が完全につぶれたら、塩を投入してさらにつきます。豆と塩の割合は、体積で6:1くらい。
最後に、大豆の煮汁に泡盛を少し混ぜたものを加えて手でこねて、みみたぶくらいの固さになるよう固さを調整します。


よく混ざったら、団子状に丸めて、空気が入らないようにカメの内側にぺたぺたと貼り付けていきます。
このとき、「タウテー ウフユバイ ンスゥーシミー カギユーインカイヌ ンスゥーカナーシミー フィーサマティー」と言葉を唱えるのだということを、仲原ソヘ子さんに教えていただきました。この味噌が豊かな世をもたらし、たくさんの祝いにこの味噌が使われますように、といった願いを込めるのだそうです!

ついた味噌を入れる前に、カメの内側に塩をすり込み、底にも麦麹を少し入れておくのも忘れずに。
味噌カメに仕込んだら、約6か月後には味噌が食べられるようになります。時々手を入れてかき混ぜるのですが、手を入れるほどに味噌が赤くなる、のだそうです。


こちらでは、味噌つきの様子を「見加勢」しながら、ウツマミの脱穀をしています。
このウツマミは、今年3月に種まきを行った際に参加してくれた高校生が種を持ち帰り、学校の圃場で栽培してくださったもの。一足はやく、収穫して持ってきてくださいました。


しっかりと豆がふくらんでいます。
来年こそは、このウツマミで味噌や豆腐を作ってみたい、、、と思いますが、池間の耕作放棄地で栽培中のウツマミとあわせてどれくらいの量が収穫できるかお楽しみです。


さて、味噌つきが終わると、昨年11月に仕込んだ味噌でつくった豚汁と、黒あずきを入れた豆ごはんのおにぎり、野菜てんぷら、黒糖てんぷらなどがふるまわれました。
昔から、味噌作りが終わると、「ンスゥヅキユーイ」といって、その家が手伝いの方々をねぎらって食事をふるまい、楽しくお祝いをしたそうです。


島の幼稚園生から、最高年齢93歳のオバアまで、みんなで味噌を仕込みました。半年後のシマ学校では、出来上がった味噌でふたたびお祝いをしたいと思います。