2014年4月19日土曜日

「いけまシマ学校」が開校。第1回シマ学校としてフキャギづくりに取り組みました。

島の高齢者の経験や生活の知恵を記録にとどめ、そこから次世代へ引き継ぐべき島の宝物を再発見していくとりくみとして、「いけまシマ学校」がスタートしました。「シマ学校」とは、高齢者のもつアマイウムクトゥ(生きる知恵や思想)を、島内の後輩のみならず、島外からの訪問者(観光客や修学旅行生)へ直接的に受けわたしするなかで、ひとりひとりが得意なことで輝ける機会を多くつくり出すことを目的として行われます。


校長は儀間利津子、副校長は与那嶺ヒデさんです。
毎回、島の高齢者がそれぞれの得意分野で講師を務めます。今回は、昔ながらのフキャギづくりを行うため、仲間トミさんと勝連昭子さんに講師を務めていただきました。


講師任命書の授与も行います。


開校式が終わると、さっそくフキャギづくりの講座に入ります。
池間島では、お祝いのときやジュウゴヤにはかならずそれぞれの家庭で「フキャギ」を作り、お供えしています。いまでは買ってきたもち粉でつくりますが、明治・大正時代には木臼でつき、昭和時代からは石うすでもち米やフギャンを挽いてから、手間暇かけて作っていました。ジュウゴヤの日には、それぞれの家庭で朝早くからうすを引く音が聞こえていたそうです。


今回は、明治・大正チームと、昭和チームに分かれてそれぞれの方法でフキャギづくりに挑戦しました。
こちらは明治・大正チーム。もち米とうるち米を3:1の割合で混ぜたものを一晩吸水させ、水をきったものを臼でついているところです。


臼でついた米をふるいにかけ、細かいもち粉を作っていきます。学童保育の子どもたちも参加し、オバアたちから昔ながらの方法を習います。


初めての作業に子どもたちも興味深々。


昭和に入ると、石臼が使われるようになりました。吸水させた米を水と一緒に入れ、臼をまわして挽いていきます。


昔は、ジュウゴヤの日は早朝の日が昇る前から挽き臼をまわして、フキャギをつくっていたと聞きます。これらはすべて女性の仕事でした。


子どもたちも作業を手伝います。重たい石臼を一生懸命回してくれました。


挽いた汁をキャラコの袋に入れて水を切ります。手でよく揉むと早いよ、とオバアからのアドバイス。


さらに、石臼を重石にして水を切ります。


水を切ると、片手で握れるほどの固さになりました。


こんなふうに片手で握って、細長いフキャギのかたちを作っていきます。


先日の学童保育でも一度練習していたので、もちを丸めるのも上手になりました。小学2年生のゆりなちゃん、オバアのやり方を真剣に学んでいます。


握って丸めたもちは、沸騰したお湯でゆでていきます。今回は、大鍋を薪で炊いています。


こちらは、黒アズキを炊いたゆで汁でゆでています。お湯でゆでて作るよりも少し前の世代の作り方とのこと。もちが赤く染まってめでたいのだそうです。


ゆであがったフキャギに、黒あずきをまぶしていきます。
平良や佐良浜で作られるフキャギには、豆が隙間なくびっしりとついていますが、まばらにつけるのが池間式。


こちらが、完成したフキャギ。おいしそうにできあがりました。


最後に、みんなで試食して明治・大正と昭和のフキャギを食べ比べてみました。
木臼でついて作った明治・大正チームのフキャギは、粉の粒が少し荒く残っている感じがありますが、石臼で挽いた昭和チームのフキャギは驚くほどなめらかな舌触りでした。また、挽き臼を2台使用しましたが、それぞれの臼(の挽き方)によっても、歯触りやなめらかさが違っていました。


また、今回はもち米とうるち米の割合を3:1にしましたが、やわらかくなりすぎた、という声もありました。「昔と違って、いまのサーミ米(うるち米)はもちもちとしているので、もち米とサーミ米を5:5にしてもいい」「自分たちで一からついてつくったのでとてもおいしい」といろいろな意見を出し合いました。


シマ学校に参加した子どもたちも、「楽しかった」「またオバアたちと一緒につくりたい」と感想を話してくれました。

いけまシマ学校では、このような高齢者の知恵や経験を次世代に伝えながら、高齢者の誇りや生きがいとり戻すこと、民泊の雨天時のメニューとしての活用、地域文化の継承、高齢者が一定の収入を
得ること、島の特産品開発などを目指して進めていきたいと考えています。

今後も月1回のペースで開校予定で、池間島の暮らしと文化にかかわるものをテーマに、みそづくり、麹たて、とうふづくり、民具づくり、アーグ(唄)やゆがたい(お話し)などの講座を計画しています。

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